原風景や忘れたくない感情を、透明感のある声とメロディで紡ぎ、全国各地に足を運んで歌い続けてきたシンガーソングライター、南壽あさ子。彼女の歌は、雪が降ったあとの澄み渡る空気や、透明度が高い湖水のように、目に見えないけれど確かな“存在”を感じさせる。20歳のときに曲を作り始め、その飄々とした人柄からは想像もつかないほど強烈な歌の引力でたくさんの人を惹きつけてきた彼女が、10/23にメジャーデビューシングル『わたしのノスタルジア』をリリースした。今をずっと忘れないようにと歌ってきた彼女に、新作のこと、これからのこと、そして南壽あさ子が大切にしていることを訊いた。
●今回メジャーデビューとなりますが、ブログやライブのMCで「これからも私にできることは歌うことだけ。心を込めてひとつひとつやります」と自分に言い聞かせるようにおっしゃっていたのが印象的だったんです。
南壽:そうですね、それしか言えないです。私だけがなにかやっているというよりは、全体を含めて南壽あさこチームとして動いていて。周りのいろんなサポートがなければこういう風になっていないし、いろんな人が動いていて、その中のひとりとして私が歌う。そういう役目という風に考えているので、ひとりで走っているという感じはないです。
●「歌うことだけ」という曲があるじゃないですか。僕はあの曲が大好きなんですけど、あの曲は南壽さんが曲を作り始めた初期の頃のものですよね。今現在も南壽さんは「私にできることは歌うことだけ」という意識が強くて、今もあの曲をずっと歌い続けていて。あの曲に込めた思いは、どんどん強くなっている感覚なんですか?
南壽:あの今日を作った理由は、“今の自分はこういう風に思っているよ”っていう決意表明を歌にして、それを自分が歌い続けている限り、初心を思い出せるようにっていうことなんです。絶対このあと浮き沈みはあるかもしれないけれど、そういう時にこの曲を歌えば、絶対に思い出せるようにしておきたくて。そういう曲を1曲作っておきたかったんです。自分の気持ちが落ちていたり、熱意が冷めていたりした時に、絶対ハッとできるはずだと思って。あとは自分が生きた証というか、最後までそれを歌うことによって、「私は歌って生きていました」という風に言いたかったので、作ったんです。なので思いは膨らんできていますね。いろんな人を巻き込んでいっているので、よりいろんな人をイメージしながら歌えたり。歌詞の最後にメッセージというか、“あなたらしく生きていけばいい”という風なことを歌っていますけど、聴いてくれる人も増えているので、当初よりは少し壮大なイメージで歌っています。
●今回のシングル曲「わたしのノスタルジア」ですが、“約束しよう 今をずっと忘れない 時が経っても”という歌詞があるじゃないですか。さっき「歌うことだけ」について「初心を忘れずに」とおっしゃいましたけど、この曲をデビューシングルに選んだ理由はその感覚に近いのかなと。
南壽:この曲は私の表現したい“原風景”とか“切なさ”っていう部分がすごく現れているし、後半に向けて壮大になっていく感じもあるので、これを選んだんです。もともと3年前にオリジナルを書いていて、改めてデビューシングルになるっていう時に、“約束しよう 今をずっと忘れない 時が経っても”という部分を書き足したんです。
●あ、書き足したんですか。
南壽:今の自分の気持ちを込めたかったんです。これからに向けての決意表明として改めて書きたいこともあったし、それでやっと3年の時を経て完成したというか。
●同じく歌詞について、“思い出にならないように”とありますけど、思い出になることを望んでいないんですか?
南壽:思い出になっちゃうと「いい思い出だったね」という感じで、過去のこととして終わってしまっていて、良いとか悪いとか関係なしに過ぎ去ってしまったことになることだと思うんです。現在とはあまりリンクしていないというか。進行形ではない。
●引き出しにしまうような感覚というか。
南壽:自分がずっと持っていた夢を置いていってしまったりしたら、その夢は思い出みたいになるという感覚です。でもそうさせないっていう。“夢を持ち続けていようよ”っていう意味で“思い出にならないように”と。
●現在進行形でいたい。
南壽:そうですね。
●この曲で歌っていることの根底には“時が経つこと”があると思うんです。時が経つことによって、少しずつ変わったり、失ったり。時が経つことは、南壽さんにとってはどういうことなんですか?
南壽:寂しいことですね。みんなそうだとは思っていたんですけど、特に自分はそうなのかなと思いました。私はいろいろ忘れっぽいというのもあって、時間が経って大切なことを忘れてしまいそうになるんです。純粋な気持ちもそうだし、人に言われたこともそうだし、すごく幸せな時間だったりしたらより胸に取っておきたいのに、次の日になって、また次の日になって…ってしているうちに、同じ思いには戻れないんですよ。
●戻れないですね。
南壽:寂しいですよね。“忘れたくない”っていう気持ちがあるにも関わらず、忘れてしまうという。そこにすごく切なさがあって。
●だからその感覚を歌にしたい?
南壽:いちばん歌にしたいテーマはいつもそれなんです。根底にある。
●南壽さんが曲を作る動機は、気持ちを記憶するということ?
南壽:曲を書けるようになって本当に良かったなって思っているんですけど、そういう場面場面を、実話とかではないんですけど、自分の想いも織り交ぜて曲に出来るんです。曲にしていくことで、歌い続ければそれを忘れない。思い返す時間になって、しかもただ日記を読み返すよりもメロディがあって音源になっていたり、アレンジが加わっていたり…歌って不思議です。
●絵日記というより、心に近いんですね。
南壽:はい。昔流行っていた曲を聴いてその頃の自分を思い出すように、自分の作った曲だったらより鮮明に思い出せるんです。曲に籠っているのは初心だけじゃなくて、その後いろんなところで歌っているとその思い出が足されていってものすごいことになるんです。
●ものすごいことになりますね。
南壽:歌う回数が増えていくごとに、思い出が蓄積されていって。逆に最初に込めた気持ちを、忘れてしまっているわけじゃないけど、歌っているときに“あっ! そうだった!”って改めて気づくこともあります。
●あとM-2「うろこ雲とソーダ水槽」ですが、この曲は熱帯魚と飼い主のことを歌っていますけど、途中で人称が変わるんですよね。飼い主の目線だったものが、いつの間にか魚の視線になっていて。それで、初めてライブで聴いたときに実はびっくりしたんです。曲の最後ですごく母性を感じるというか、すごく熱量の高い感情が込められていて。今までの南壽さんにはあまりなかった熱量だと思って。
南壽:これは妄想から作った曲なんです。熱帯魚を飼っている人から話を聞いたこととかがきっかけになってはいるんですけど。最後の言葉っていうのは、魚に置き換えないと言えない私の気持ちというか。
●魚に言わせていると。
南壽:そうですね。人間と人間の物語だったら、こんなにストレートな歌詞は書けなかったと思うんですけど、水槽にいる魚と飼い主という関係で、“守るから”という気持ちと、“代わりになるよ”という気持ちを魚が伝えているんです。
●ここまでストレートな気持ちは、なにかに投影しないと表現できないんですか?
南壽:言えるとは思いますけど、作品として、あまりにも“私がベタベタ歌ってますよ”っていうのは自分で納得がいかなかった。
●ハハハ(笑)。なるほどね(笑)。
南壽:魚の気持ちになりながら自分の気持ちとして歌う、ということだったら、歌っていてもすごく気持ちが入りやすいんですよね。
●実質は自分の気持ちなのに。
南壽:そうですね。不思議ですよね。あまりにも“これは自分の言葉ですよ”っていう風な曲になっていたら歌えないと思います。それは自分の性格かもしれないし、“こういう風に作品を作りたい”というスタイルなのかもしれないです。でも最後のメッセージを伝えたかったのは、やっぱり周りで頑張っている人をたくさん見ていて、そういう人に“ちゃんと見ていますよ”いうのを伝えたい想いも密かにあったりして。
●それを自分の言葉として出すのは照れくさいと。
南壽:おこがましいし。
●魚に言ってもらっているけど、私の本音ですと。
南壽:そうですね。本音ですね。
●きっと南壽さんの性格なんでしょうね。
南壽:確かに。
●11月からは47都道府県ツアーが始まりますが、自己最多ツアーですよね。
南壽:そうですね。もともとは私が「やりたい」と言って。
●相変わらず豪傑ですね。
南壽:うふふ(笑)。前回のツアーが29箇所で。例えば富山と石川に行ったのに、福井はやってないとか。そういう風に見えて来るじゃないですか。“なぜこんな近くにいるのに、こっちは行ってないんだ”みたいな。自分の中にそういう気持ちが出てきて。くまなく廻るとは言ってはないですけど、やればやるだけ、やっていないことが気になってくるんです。京都もこの間初めてライブが出来たんですけど、例えば大阪でライブをしていて「京都から来ました」と言ってくれる人がいて。「京都にもこんないいところがあるので、また歌いにきてくださいね」とか何回も言ってくれるのに行く機会がなかったりとか。でもやっぱり言われたことは覚えていて“早く行きたい”と思ったりして。まだ行っていない知らないところもあって、歌だけ届いているっていうところもあったり、ずっとCDを聴いてくれている過程があったとしたら、そこまで届けにいくべきなんじゃないかなと思って。歌を歌える限りは、それが歌い手の役目かなと思うんです。スタッフさんが大変ですけどね。
●楽しみですね。
南壽:いろんな場所にいろんな人がいて、その土地の特色っていうのもあって、実際に触れ合って、それを全部知りたいんです。欲張りなんですよね。
●要するにわがままツアーだと。
南壽:そうですね、本当に。贅沢だし。だから大変といえば大変なんでしょうけど、歌を届けに行きたいっていう気持ちから始まるツアーなんです。
●旅に行って歌うというのは、やはり自分にとって大きいことですか?
南壽:そうですね。最初の時の自分だけの世界だと思っていた時だったら、そんなこと考えもしなかったと思うんです。でも聴いてくれている人がいるということが見えてくれば見えてくるほど、その土地に行って、その土地の空気に触れながら、人に触れながら歌うっていうのがどれだけ大事なことか、歌い手としての重要さに気付いたんです。ある県のとある市でやったら、また違う市の人が来ていたりして。
●次はまたその市が気になる。
南壽:そうなんですよ。
●全国市区町村ツアーやればいいんじゃないですか(笑)。
南壽:いろんなことを気にしちゃうんですよね。気になったら確かめたいし、1年に1回しかないお祭りがあって、そこに住んでいてもその日に来れなかったりする人がいるじゃないですか。それも気になるんです。
●アハハハ(笑)。すごいな(笑)。
南壽:「また来年」って気軽に言うけど、1年間は気になり続けますよね。だから尽きることはないんです。
●話は変わりますが、いちばん最初のインタビューのときに「夜中に道を歩きながらぴょんと跳ぶことに興味がある」と言っていて驚愕したんですけど…。
南壽:そんなことまで言っていました?
●はい。今は何に興味があるんですか?
南壽:人から「よく人間観察をしてますね」と言われたんです。自分ではまったく意識していなかったんですけど。
●じっと見たりするんですか?
南壽:視線はあまり送らないんですよね。ちらっと見た中になにかあって。その人の発言からなにかを読み取ったりとか。“今はこうしているけど家ではこうなんじゃないかな?”とか。
●妄想していると。
南壽:妄想ですね。妄想が趣味です(笑)。あとは歩くのが好きですね。すれ違った人とかをちらっと見て“今はこういうのが流行ってるんだな”とか。お店の移り変わりもそうだし。そういうのが楽しいですね。最近は、空いている日は歩いています。電車の一駅分を歩けば電車代が浮く上に、楽しいし、運動にもなるし、歌もできる。
●その妄想が歌に繋がるんですね。ということは、日常は音楽一色。
南壽:離れられないですね。離れたいとも思ってないですけど。
●歌を作って歌うことが、今の南壽さんにとっては生きることのような。
南壽:そうですね。もともと小さい頃からそうなりたいなと思っていたし。歌うことを職業にするのは大変なことですけど、素晴らしいことですよね。いろんな職業の人がいますけど、歌うことを職業にしているのってすごいなと思います。歌を人に聴いてもらうことで自分が生きているって、すごいとしか言いようがないです。不思議ですよね。
●人ごとか(笑)。
南壽:物を売っているという感覚ともちょっと違いますし。古い時代からあって、もちろんCDという商品になっていることもわかるんですけど、自分の身体から出てきているものを聴いてもらって売っているというのが…頭の中や声が職業になっているっていうのが不思議だし、ロマンチックだなと思います。そういう職業が、世の中にあること自体が素晴らしいなって。
●今は歌うことに興味が尽きない?
南壽:そうですね。ライブをするたびに自分の中では“もっとこういう風に歌えたらな”っていうのがあるんです。歌い上げるタイプではないですけど、私の場合はどれだけ心を込められるかによって、聴き手の印象が変わる気がしていて。
●そうでしょうね。それは南壽さんのライブを観ればわかります。
南壽:上手く歌えるかじゃなくで、どれだけ曲に集中して入り込めるかっていうのもあるし。私は心が歌になっているような気がしていて。そのまま露わになっている気がするので、聴く人もより繊細に聴いてくれていて。逆に言えば、心を込めさえすればきっと伝わるんじゃないかなって信じています。
interview:Takeshi.Yamanaka
Assistant:森下恭子