崩壊から再生へ。そして創造へ。大切なものをなくしても、また一から作りあげたものが音楽と共に未来を創造していく形となったらどんなに素敵なことだろう。
あれから2年。荒浜の海辺へ。町をなくした静かな世界がそこには広がっていた。ぼうぼうに伸びた草むらに咲き誇るひまわりを見つけた。太陽に向かって、希望に向かって咲いているように見えた。何もまだ終わってはいない。でも確かに歩き始めている。
震災発生時、私は1人暮らしをしていた自宅にいた。
実家の母とたわいもないメールをしていたその時、緊急地震速報が鳴った。
大きな揺れでテレビが床に落ち、冷蔵庫の上の電子レンジが飛んできた。電気が消え、鏡が割れ、凄まじい地鳴りと近所の人の悲鳴が聞こえた。長い長い揺れの途中、県外のバンドの友人から電話が沢山かかってきていた。しかしどれも通話ボタンを押しても出ることができず、そういった普段とは違う状況にもまたパニックになっていた。
その日は、メンバーと機材車で明かりのない夜を過ごした。真っ暗闇の中これでもかというくらいの星空が残酷に綺麗だったのを覚えている。
全てがドラマのように感じて、これが現実かと思うほどだった。それから一週間、電気のない生活を送った。スーパーに入るまで3時間並んだり、炊き出しに並んだり。
毎日鳴る緊急地震速報に怯えながらいつまでこの日々が続いていくのだろうという不安も、全国各地の仲間や
応援してくださっている方々からのメッセージで、本当に救われた。
あれから2年たった2013年2月、未だ解決しない復興支援問題を抱えている中、新譜をリリースした。立ち止まったからこそ見えた景色、そこから得た絶望と希望への道標を形にしたかった。そして、音楽の力で何かできないか、その思いで震災復興プロジェクトの署名活動への参加を決めた。
震災がれきをごみとして埋め立てるのではなく、思い出と悲しみの大切な遺品として海岸に山積みにし、平和記念公園を作ろうという、東北大学臨床教授の岡山博氏が立ち上げたプロジェクトだ。2月から6月まで毎月仙台と東京でリリースイベントを開催し、署名を募った。全国各地の沢山の方々が署名に協力してくれ、被災地への応援メッセージをくれた。
音楽と震災復興。直接的には結びつかないような気もするが、いつか、震災がれきを積み上げ、その大切な遺品たちで音楽を奏でるステージを作りたい。
私の夢のひとつだ。崩壊から再生へ、そして創造へ。大切なものが壊れてしまって、同じものを手にすることはできないかもしれない。
しかしまた一から作りあげたものが、音楽とともに未来を創造していく形となったらどんなに素敵なことだろう。